境内案内

本堂

昭和13年に竣工した総欅(けやき)造り銅板葺(どうばんぶ)きで、棟行(むねゆき)(南北)39.1メートル、梁行(はりゆき)(東西)49.8メートルの大阪府下最大の木造建築である。平成15年文化庁登録文化財指定。

堂内には正面宮殿(くうでん)に本尊十一尊天得阿弥陀如来(じゅういっそんてんとくあみだにょらい)画像、その両脇に岡倉天心(おかくらてんしん)の高弟、名仏師新納忠之介(にいろちゅうのすけ)作の多聞天王(たもんでんのう)、八幡大士(はちまんだいじ)の極彩色の木造が立ち、左右の宮殿に宗祖聖應大師(良忍上人)、中祖法明上人の木造を安置している。また左右余間に再興大通上人の椅像と、旧本堂(寛文7年建立 明治31年焼失)の建立願主舜空(しゅんくう)上人の木造を安置している。

外陣いっぱいに吊り下げられた大数珠は明治36年に再製したもので、約1200顆(か)の欅材からできており、一つ一つの珠に名号と施主名、回向の戒名が陰刻されている、百万遍大数珠繰り法要に使用するものである。

霊明殿

正門(せいもん)、回廊(かいろう)、奉安所(ほうあんしょ)、修法堂(しゅうほうどう)からなる。

創建は保元(ほうげん)元年(1156)、第三世明應上人のときと伝える。

良忍上人の念仏勧進を助け、自らも融通念仏に深く帰依された鳥羽上皇の霊牌(れいはい)と御真影(ごしんえい)を祀るために建てられた。その後、寛永年中(1624~1643)、第三十八世法覚上人は徳川家康公を合祀(ごうし)するため、権現(ごんげん)造りの社殿を再建した。それ以降ここを「権現さま」「お宮」と称した。

今日まで修理を繰り返し正門と回廊は江戸時代の遺構を残しているが、奉安所と修法堂は明治25年頃火災で焼失し、その後昭和5年に旧形のまま建て替えられた。平成20年、大修理を施し、新たに後小松天皇(ごこまつてんのう)を合祀するようになった。後小松天皇は融通念仏勧進帳の序文(重文)をしたため、広く念仏を弘められた方である。

鐘楼

平成30年(2018)に改修された入母屋造りの屋根を付けた優美な建物である。鐘は文化3年(1806)に改鋳された名鐘で、従一位右大臣藤原家孝公(じゅういちいうだいじんふじわらいえたかこう)の銘文がある。

楽邦殿(納骨堂)

霊骨、胎内仏、水子地蔵をお祀りする。2階本堂、1階休憩所。平成10年竣工。

宝物館

寺宝収蔵用の建物で展示ホールと収蔵庫からなる。昭和55年竣工。

円通殿(観音堂)

伝教大師作と伝えられる聖観音立像を祀り、左右には大通上人が募った日月祠堂位牌を安置。扁額「円通殿」は大通上人直筆。平成元年改修復元。

山門

宝永3年(1706)、第四十六世法主大通上人の建立による。棟行(むねゆき)二間(3.6メートル)、梁行(はりゆき)九尺(2.7メートル)、両脇に七尺(2.1メートル)の壁落(かべお)ち屋根を付けている。

「大源山(だいげんざん)」の扁額(へんがく)は、後西(ごさい)天皇の皇女で京都宝鏡寺(ほうきょうじ)の本覚院(ほんがくいん)の宮徳厳尼(とくごんに)の真筆である。明治34年、平成15年に大修理を施した。

大通上人はこの門を融通無碍門(ゆうずうむげもん)と命名し、人種、年齢、性別、職業の違いを越えて、お互いが心で融け合い、喜びと感謝があふれる仏国土を築き上げていくという融通念仏の功徳を称揚した。

門、扁額、棟札の三点が大阪市の有形文化財に指定されている。

白雲閣

2階建の多目的会館。平成10年竣工。

瑞祥閣

百畳敷きの大書院。門の瓦が尺八の形を模している。

延喜殿

平成26年1月24日竣工した管長公舎と僧侶研修道場などを兼ねた建築物。

毘沙門堂

奥(東側)に四間四面、手前(西側)に棟行五間、梁行三間の2つの堂を合わせ持つ建物で、天治2年(1125)、元祖聖應大師(良忍上人)の創建と伝える。現在の堂は寛政11年(1799)第四十九世堯海上人の再建である。

南門

元古河藩陣屋門。明治の廃藩後、平野小学校表門として昭和2年まで使用。昭和37年移築。

地蔵堂

弘化元年(1844)、第子十二世教彌(きょうみ)上人再建。本尊は蓮台に乗る等身大の木造である。幕末の頃、八尾を中心に河内地区において熱心な布教活動をした樂山(ぎょうざん)上人の作である。

斎堂

1階は斎堂、2階は会議・講習に使用する和・洋の会議室

梁松院

唯一の塔頭で昭和47年再建。