融通念仏会・
百万遍大数珠繰り

本堂外陣いっぱいに広げられた大数珠は

数人ではとても廻すことは出来ない

多人数が一同に集まりお念仏を称えていくところにこそ

数珠は廻り、人と我・我と人がお互いに融通し合い

億百万遍の功徳となっていく

融通念仏会と百万遍大数珠繰り

三斎月(さんさいがつ)と呼ばれる1月、5月、9月の16日に「融通念仏会」と「百万遍大数珠繰り」が総本山大念佛寺で行われます。

この3月は三長斎月(さんちょうさいがつ)(三斎月)といい、精進して悪をつつしみ、善行を修めるべき月と定められています。1月は衆生現生(しゅじょうげんしょう)の初め、5月は興盛(こうせい)の月、9月は欲蔵(よくぞう)の初めなりといわれ、1月は年の始めで去る年の悪を悔い改め、新しい気持ちで生活を始める月です。5月はあらゆるものが生気に満ち溢れる月で、9月は欲望がいっぱい溜まる月であるといいます。

好事につけ悪事につけ、私たちの心を迷わせる悪鬼が横行しやすいので、数珠繰りによって退散させるという意味があります。

融通念仏会

日程
午前11時 ~ 粗飯接待の後、百万遍数珠くりへ
参加料
無料
場所
瑞祥閣

融通念仏会は具(つぶ)さには融通大念仏会といい、略して融通会または大念仏会ともいいます。これは大勢がともに融通念仏を唱和する会合のことで、大念佛寺では百万遍大数珠繰りの前行(ぜんぎょう)として行われています。

この法会(ほうえ)の最初は天治2年(1125)6月、良忍上人54歳のとき、宮中に召され、鳥羽上皇をはじめ女院百官(にょいんひゃっかん)ことごとくこの法会に参集したのが始まりです。それはどのような形で行われていたのかは不明ですが、声明に秀でた上人は美しい曲調で経文や念仏を誦(じゅ)し、参集の人びとを大いに魅了されたことでしょう。

このとき必ず行われていたのが、結縁者(けちえんしゃ)(参加者)の名前を帳簿(名帳(みょうちょう)または勧進帳という)に記入することと、皆ともどもに念仏を唱和することでした。その後、代々にわたってこれを伝えてきました。

現在行っている大念佛寺の融通念仏会は、名帳記入をし、在家勤行式(ざいけごんぎょうしき)に則っておつとめをし、元祖大師のご法語を奉読して日課百遍の念仏を唱和しています。

融通念仏会

百万遍大数珠繰り法要

日程
午後1時 ~ お説教 午後1時30分 ~ 数珠くり
参加料
無料
場所
本堂

多数で念仏を唱和しながら数珠を繰ると、あたかも自分がまわした数珠の一珠一珠が他のすべての人に順繰りに行きわたるように、自分が称えた念仏が他の人に振り向きます。そしてその念仏は互いに融通し合って、人数と遍数が増えるごとに莫大(ばくだい)な数量となって、得られる功徳も大きくなる。これを億百万遍または百万遍といいます。

まさに数珠繰りは融通念仏の原理を実地に行っているのです。

大数珠繰り法要は本堂外陣いっぱいに広げられた大数珠を参詣者が念仏を称えながら繰るものですが、数珠が大きく重いため、四隅に取り付けた滑車を回してその動作を助けます。

現在の大数珠は明治36年6月、第五十六世得善(とくぜん)大僧正によって、欅材(けやきざい)を使用して作成されたものです。阿弥陀仏を表す母珠(ぼしゅ)は直径15センチの球形で、一部をくり抜きその中に金具を施し、金銅の阿弥陀仏を安置し、くり抜いた面に格子金具で蓋をしています。成珠(じょうしゅ)(本体の珠)は直径7.5センチの球形でつなぎ部分の両端を扁平にして6センチ巾になっており、その数は1153個あります。珠の中央には南無阿弥陀仏、その下に戒名(または法名)を、戒名の右に寄進者の住所、左に姓名が陰刻されています。

以前の数珠は元禄13年(1700)、第四十六世大通上人が5,400人の寄進者の力を得て作成されましたが、明治31年の火災で焼失してしまいました。得善大僧正は大通上人の故事に倣(なら)い、多くの寄進者を募り、その志す諸霊を彫られました。

この数珠繰りが終わると、本堂外陣正面にて管長猊下より参詣者一人一人に身体堅固のお加持をして頂きます。これは管長猊下が、ご自身のお数珠を参詣者の背中にあててご祈祷して下さることで、その後百万遍のお札を授かりそれぞれお家に持ち帰り、家内安全を祈ります。

百万遍大数珠繰り法要