声明について

流麗な音曲で聞こえる極楽の様子、

仏の世界にいざなう音声―――「声明(しょうみょう)」

我が国に伝わる伝統音楽「声明」は

今でも継承されています。

声明のはじまり

京都洛北に「声明」の里と愛称されている景勝地があります。三千院で知られる大原の里です。三千院山門南側の呂川(りょせん)に沿って遡ると浄蓮華院(じょうれんげいん)、来迎院(らいごういん)が姿を現わし、まわりの環境に溶け込んで閑静なたたずまいを見せます。この辺り一帯は中国声明の聖地「魚山(ぎょざん)」(山東省泰安府)に因み、魚山と呼ばれ日本声明の発祥の地とされています。

天台の声明

天台の声明は、平安時代初期、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)(794~864)が入唐(にっとう)し、魚山で声明を修得し、帰朝後、京都大原三千院一帯の地を唐の魚山と見たてて天台声明を創唱したことを始まりとします。

その後大原に於いて天台声明は継承され、260余年を経て良忍上人に到達します。平安時代後期、天台僧であった良忍上人は比叡山の修行を終え、仏道を深めるため大原に下ります。大原では古刹勝林院で学ぶとともに、自ら来迎院・浄蓮華院を創建、一層の仏道研鑽に励まれました。

大原来迎院
大原来迎院

良忍と声明

大原御廟と無音の滝
大原御廟と音無しの滝

良忍上人といえば声明といわれるほど、声明に関して日本仏教史上に占める上人の地位は極めて重いものがあります。良忍上人は慈覚大師円仁以来、諸流に分かれていた天台声明を統合し、博士(はかせ)(墨譜)の改良や音階の整理統合など天台声明を名実ともに確立し、声明業中興の祖と仰がれるに至ります。

大原に流れる河川、呂川と律川(りっせん)の上流には「音無(おとなし)の滝」があります。名前の由来は、良忍上人声明修行の際、あまりのすばらしい音曲に滝の音が同調して音が消えて無くなったという故事に因んでいます。また来迎院には獅子が良忍上人の唱える声明に陶酔しきってしまい、堂内で固まって岩になってしまったという「獅子飛び石」伝説も伝えられ、その岩も境内に残されています。

こうした良忍上人の声明を偲ぶ伝説は長く語られ、継承されてきました。声明大成者良忍上人は千年の時を経て声明の発展を見守り、来迎院境内の奥、北側の御廟に今もなお眠っておられます。(墓石とされる三重塔は国指定重要文化財)

「声明集」について

良忍上人の弟子家寛(けかん)は、後白河法皇から声明集の策定献上を命ぜられ、『二巻抄(にかんしょう)』という声明集を作成し、献上しました。初めての声明集です。以後声明集は熱心な僧侶の書写によって継承され、江戸時代初期、大原南の坊の憲真(けんしん)が、『二巻抄』を六帖に分けて刊行しました。六帖あるので『六巻帖』と呼ばれています。そして江戸時代後期には、大原普賢院の声明家宗淵(しゅうえん)が憲真の作成した『六巻帖』に改良を加え『宗淵版六巻帖』の刊本を作成します。これこそ現在の天台声明の根本声明集であり、天台宗以外の宗派も多くはこの声明集に依処し、これに依っているのです。

さて、『宗淵版六巻帖』完成9年後の文政8年(1825)、宗淵は当時親交のあった大念佛寺五十一世眞海(しんかい)上人の要請に応えて声明集一巻を策定し献上しました。融通念佛宗の課誦(かじゅう)を踏まえながら天台声明の墨譜理論に則り22曲からなる融通念佛宗専用の声明集を策定したのです。声明集の名前は『大源聲明集(だいげんしょうみょうしゅう)』といい、融通念佛宗において重要な声明集史料となっています。声明の大家宗淵と『大源聲明集』を通じて、大念佛寺の声明は大原の天台声明を継承しているのです。

大源聲明集表紙
大源聲明集表紙
大源聲明集序文
大源聲明集序文

大念佛寺の声明

日本の古い声明の伝統は奈良仏教に見られますが、今日唱えられる声明各流派の源は平安時代に請来(しょうらい)された天台、真言の二流であろうと考えられています。真言声明は空海、天台声明は最澄の弟子円仁が請来し、系統的な伝承がはじまります。円仁は多くの声明を内容別に複数の弟子に伝授します。これは後に流派を生む一因になりますが、これらをことごとく統合し大成したのが良忍上人なのです。

現在大念佛寺に伝わる声明は、ふたつの特質があります。第一には開祖良忍上人直伝の魚山声明の系譜をもつことです。

もう一つの特徴としては、大原の魚山声明には見られない声明が継承されていることが挙げられます。これは良忍上人が提唱した融通念仏の勧進など布教活動の課程で、自然に創出されてきた声明であり、大原の様な専門の寺院によって守られてきた声明ではなく、いわゆる市中で整えられた声明です。僧侶だけでなく、僧侶と庶民の交流や念仏勧進の過程を経て生み出されたこの詠唱(えいしょう)の念仏群は音曲の念仏の成熟を示唆しています。その中でも一双の伏鉦(ふせがね)を用いて称える「融通如法念仏」は貴重な音曲念仏の結晶です。「南無阿弥陀仏」の宝号が鉦に合わせて緩急次第しながら幾重にも唱えられ、濁世(じょくせ)の苦を離れ極楽に生じ、速やかに仏身を成じて不退転(ふたいてん)を得る境地を表現します。また、音程の異なる甲乙二種の鉦を用いながら和音の響きが醸し出される様相は相違なる者同士が一つに融けあう融通念仏の思想を表すものです。その他にも、みほとけを讃歎(さんたん)する「歎佛(たんぶつ)」や「礼讃(らいさん)」の声明も念仏信仰の交流の中から生まれた「融通声明」です。

以上のように融通念佛宗総本山大念佛寺の声明は一方では天台、大原を源流とした「魚山声明」と、良忍上人提唱の「市中創出の声明」が継承されています。

融通声明コンサートの様子
融通声明コンサートの様子