2015年までの法話

2009年01月

丑年に寄せて ―懺悔と感謝―

今年は十二支の中では丑(牛)に当たります。

牛といえば50年くらい前までは農耕に欠かせない労働力として農家では飼われていました。その牛が働けなくなると売られていくのです。耕作機械が普及して今では牛を農耕に使うことはなくなりました。今は肉や乳その他牛製品を得るために飼育されています。そして食肉に使用される一方、太鼓の皮、靴、ベルト、鞄などに加工されてゆきます。牛は捨てるところがなくその肉は勿論のこと、内臓も皮もすべてが人の役に立っているのです。役に立つという聞こえがいいのですが、要するに人間の犠牲になっているわけです。

数年前、イギリスを発生源として狂牛病がはやりました。それは飼料として与えられる肉骨粉(にくこっぷん)が原因でした。肉骨粉は牛自身の骨肉を粉にしたものらしいのです。しかし牛は元来草食性の動物であり動物性のものを食することはないのです。それをただ人間の都合で良質の肉を手っ取り早く得ることだけを目的にしたものでした。犠牲の上にさらに犠牲を強いていたのです。

牛に限らず私たちの周囲には、人間が生きていくために犠牲を強いているものがいかに多いかを知る必要があります。それを悔(く)い、拝(おが)まずして食を得ることは罪悪です。さらにその犠牲のおかげで生かされていることに感謝の思いを持つことを忘れてはなりません。

罪過(つみとが)を心から反省することを仏教では懺悔(さんげ)といいますが、懺悔と感謝をなくすと人は傲慢(ごうまん)になり、他をかえりみない自我意識の強い人間になってしまいます。

無差別殺人、食の偽装等私たちの周囲には生命の安全をおびやかす事件がかつてないほどに多発しています。この事件の根本に懺悔と感謝の欠如を見逃すことはできません。

 丑年を迎えて謙虚な気持ちでそのことを考えてみたいものです。

融通念佛宗 宗務総長
総本山大念佛寺 寺務総長

吉村 暲英
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